こんにちは。
というか、こんばんは。
今日もこんな時間になってしまいました。
あと30分ちょっとで今日という1日の幕が閉じようとしています。
とこんなしゃれた言い回しをしていますが、別に特段面白い1日であったわけではありません。
相変わらず、職場のために体にムチ打って働いている社畜でございます。
まあ、正確には病院で働いているので院畜になるのでしょう。
果たして、今日1日働いた分のお給料をいただけているのでしょうか?
そんなことを今まで考えたこともありません。
しかし、きちんと自分のことを考えている人は、自分の働きが十分にお給料として支払われているのか、おそらく考えていると思います。
だって、自分の一生という限られた時間を、その仕事に当てているわけですから。
アメリカなんかでは、それで明らかに自分の働きに見合っていない値段であれば、自分を正当に評価してくれる職場にすぐに転職することになるのでしょう。
最近の日本もやっとちらほら仕事をやめて、新しいところに移動する人たちが出始めてきたようです。
しかし、依然として自分から退社することを言い出せないような職場環境だったり、辞めようと退職願を出すと上司がパワー全開でそれを許さないような状態であったりすることもまだまだ多くあるようです。
日本の場合は、奉仕の精神というものが都合よく存在し、苦しんでいる人がいるんだから無償で助けてあげるべきでしょう、という考え方があるのです。
苦しんでいる人?
もちろん、患者だったり、お年寄りだったり、小さな子供だったりしたら、助けないでいるわけにはいきません。
しかし、時に一見苦しんでいるのが、時間を気にせずにのんびり仕事をしている(果たして本気で仕事をしているかどうか怪しいもんですが)同僚だったり、口だけ「苦しい」と吠えて体は全然そんな状況でない患者だったりするわけで。
そんな方々に対して、自分の残り少ない人生の一部を分け与えてあげるのが非常に腹正しい場合があります。
もちろん、日本の職場ではそういう場合でも嫌な顔一つせずに、助け合いの精神という名のもとに手伝ったり、親切を示したりすることが必要なのですが。
西洋からみたら、それは日本的な美徳の一つなのでしょう。
しかし、これが当たり前の世の中になってしまうと、一部の人間は本当に体を壊してしまいかねません。
(自分はそこまでがんばっているかどうかは怪しいですが。しかし、それでも割と奉仕の精神を前面に出している方だと思います。)
ただそろそろ働いている方も、自分の権利を振りかざしてもいい頃だと思います。
いくら契約にそう書いてあるとしても、明らかに強者は弱者に対してもう少しやさしく接してもいいのではないでしょうか?
体を壊すような内容の仕事に関しては、無条件でやめることができるような法律を作ってほしい。
もちろん、体の耐久性というのは個人差があるので、なかなか全員に当てはまるような条件を作るのは難しいですが、しかし数値でこれ以上働くと体を壊すことを知らせるような測定器があればいいかなと思う。
体に溜まったストレスの数値化、筋肉に溜まった疲労物質(乳酸)を測定して数値化、脳や目を使いすぎてそれぞれがしっかり動いていないことを知らせるモニターなどがあれば、これ以上がんばると数値を超えてしまうのでやめるようにと、誰がみても公平に休みをとらせてもらえるような仕組みがあるといいのになあ。
正直、少子化を迎えた今の日本において、コンビニの24時間営業は人手のある一部の店舗でのみ行うべきだと考えます。
みなさんは、どう思いますか?
以上たーさんでした(終わり)
お疲れ様でした。